がんがら火祭り

「ガンガラ、ガンガラ」と八丁鉦の音が嗚り特き
若者たちの「ワッショイ、ワッショイ」という
威勢のよいかけ声が夏の夜を包む

池田の伝統行事・がんがら火祭りは
毎年8月24日に開催されます。
今では、北摂地域や大阪府を代表する
火祭りになっています。

迫力のある大松明

がんがら火アレコレ

徳川三代将軍・家光の治世の正保元年(1644)、多田屋・板屋・中村屋・丸屋の4人が五月山の山上で火を灯したところ、「池田の地に愛宕(火の神)が飛来した」と評判になり、多くの人が山に押し寄せたことが起源だと伝えられています。

「がんがら火」は愛称(通称)で、本来は、城山町の人たちによる「愛宕(あたご)火」のことです。
「がんがら火」という愛称は、市内を練り歩くときに鳴らされる、鉦の音から来ているといわれています。

「家内安全」と「火難厄除け」を願って行われる「がんがら火祭り」は、平成22年1月に「池田五月山の愛宕火(がんがら火)」として、「大阪府指定無形民俗文化財」の指定を受けました。

松明豆知識

松明づくりの様子

松明づくりの様子

松明の1本の長さは、約4メートル、重さ約100キログラムで、青竹を中心(芯)に肥松の木片を縄でくくりつけて作られています。
材料となる肥松は、1年前から予約し、本番の約2ヵ月前から準備にかかります。

がんがら火祭りいよいよ当日!

愛宕神社でご神火をもらう様子

五月山山上の愛宕神社で、小松明にご神火をもらい、秀望台(五月山展望台)の南斜面にある「大一」に火を移します。

その後小松明は山を下り、綾羽2丁目の「油かけ地蔵」横の四つ辻で、大松明に火が移されます。

愛宕神社でご神火をもらう様子

2本1組で「人」の文字に組んだ2基の大松明が、八丁鉦や半鐘の音に合わせて、市内を勇壮に練り歩きます。
1組の大松明に15~20人がかかり、火の粉をふせぐ人、松明を支える刺股(さすまた)持ち、半鐘、御幣持ち、世話役などを含めると総勢100人にもなります。

小松明を運び、大松明に火を移す様子

松明から火を移しとり、家の神仏の灯明にする風習は、今も受け継がれています。

大松明が市内を練り歩く様子

大一文字 (城山町)五月山にも注目!

大一文字

地元の氏子である城山町の人たちが、五月山山上の愛宕神社でご神火をもらい、その火で秀望台下の斜面に午後7時30分ごろ点火、約60分間燃え続けます。猪名川の川面に映る「大一」文字は何ともいえない風情があります。
昔は串し燈籠をともした「一」の文字でしたが、明治の終わりごろ、「大一」になったといわれています。

大一文字
猪名川の橋と大一文字

大文字 (建石町)

大文字

五月山の東方斜面(大明ヶ原)では、建石町の人たちによって「大」の字が灯されます。
京都の愛宕神社のご神火を「星の宮」にまつり、その火で「大一文字」とほぼ同じころ「大文字」に点火されます。

大文字
大文字に点火する様子とこども松明

「星の宮」には「その昔、中国から渡来した呉織姫(くれはとり)、穴織姫(あやはとり)というふたりの織姫が、灯もつけず夜遅く機を織っていたところ、七つの星が降りてきてあたりを明るくした」という伝説が残っています。
そんなロマンを秘めた「星の宮」に、点火後の火を納めるため、こどもたちが竹筒に灯油を入れた松明を手に、八丁鉦を嗚らしながら下山します。
地元では「大文字献灯」と呼ばれ、親しまれています。

開催概要

日時

毎年 8月24日 19:30~22:00
小雨決行

巡行マップ

  • 大松明 大一文字(城山町)コース
  • 19:30油かけ地蔵 出発
  • 20:15ごろハローワーク付近
  • 20:45ごろ池田駅東口交差点を左折
  • 21:00ごろ池田市役所前
  • 22:00ごろ城山交差点 到着
  • 子ども松明 大文字(建石町)コース
  • 17:00星の宮 出発
  • 19:30ごろ大文字 点火
  • 20:30ごろ星の宮 到着

※ 進行状況により、時間は前後します。